2007年02月19日

北海道遺産シリーズ

「ニッカウヰスキー余市蒸留所」(余市町)
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「写真提供サイト」http://nature.aru.co.jp/
ニッカウヰスキー余市蒸留所は、創業者である竹鶴政孝の不断の努力と夫人リタの献身的な愛により、昭和9年にその前前身である大日本果汁株式会社として設立されて以来70年余、日本におけるウイスキー造りのパイオニアとして、余市町の発展とともにその歴史を刻んできました。
また、政孝の夫人リタの名にちなんで名づけられた、国道229号のJR余市駅〜余市町役場間約1.3kmの「リタロード」。ここには余市蒸留所を中心として、余市消防署や余市図書館、余市橋など公共建造物のほか、沿線住民の協力のもと、スコットランドのイメージを基調とした建物が多く並んでおり、住民と行政の協働による魅力あるまち並み景観づくりが進められています。

■ニッカウヰスキーの歴史と余市のつながり
日本でウイスキー造りを手がけた、ウイスキー造りのパイオニア、竹鶴政孝が余市を製造の拠点に決めたのは、余市の気候風土がウイスキーの本場英国スコットランドと大変似ていることが第一の理由でした。
また、余市はりんごの産地で、ウイスキーの原酒を寝かせて商品になるまでの期間、会社の経営を軌道に乗せるためには、りんごを使った商品作りが欠かせないものでありました。
昭和9年に工場建設にとりかかり、現在の旧事務所(余市町指定文化財)からのスタートとなりました。
設立当時の社名は「大日本果汁株式会社」で、まさにりんごを元に商品を作る会社であり、その傍らでウイスキーの原酒を製造していました。
昭和15年にウイスキーが商品となり、第1号ウイスキーの発売となる商品名は社名の「大日本」のニと「果汁」のカをとって「ニッカウヰスキー」として発売となりましたが、カタカナの名称は当時としては珍しいものでした。

■世界が認めた余市モルト
世界中に会員を有するウイスキー愛飲家の会員組織(ザ・スコッチ・モルト・ソサエティ)がニッカウヰスキーの余市モルトを会員頒布用のウイスキーとして、2002年に認定しました。
これまでに115の蒸留所を認定していましたが、ニッカウヰスキー(株)余市蒸留所は116番目、その認定基準が極めて厳しいことから、今までスコットランド以外で認定されたのはアイルランドの1蒸留所だけでした。また、2005年には、仙台宮城峡蒸留所も124番目の蒸留所として認定になりました。

「積丹半島と神威岬」(積丹半島)
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日本海の青白き怒濤に刻み込まれたダイナミックな海岸線。高い透明度から北海道唯一、海中公園の指定を受けるマリンブルーがどこまでも続き、半島の突端には、水平線が浮かび上がるように神威岩が屹立し、それらは正に神が創った造形美といえます。
また、積丹半島は、かつてニシン漁の旧大漁場として栄え、番屋や袋澗などが保存され、それらの遺構からは今も勇壮な「ソーラン節」が、心地よく潮騒にのり聞こえてくるようです。
風向明美な自然景観の保全と通年型観光振興の調和をテーマに周辺地区と連携した広域的な取組みから地域の活性化に向けた活動の広がりが期待されます。

■積丹半島の歴史と神威岬への思い
北海道の北西部に位置し、日本海に向けてこぶしのように突き出した積丹半島。はるかな水平線を切り立つようにそびえる断崖、険しい地形が海岸線を縁取り、周辺には数々の伝説を秘めた奇岩怪石があちらこちらに存在します。
これらは、はるか昔に起こった海底火山の影響により、海底から吹き出した溶岩が海水に触れ、その姿のまま冷え固められたものです。そしておよそ300万年前に半島全体が隆起し、その姿を地上へとさらすこととなりました。更に長い年月をかけて、日本海の打ち寄せる荒波や潮風により、侵食され、今のような姿が形づくられたもので、大地と海のエネルギーが激しくぶつかり合い、今日の海岸美が形成されました。
自然の力によってつくりだされたこれらの岩を、町民はそれぞれに思いを込めて見つめてきました。その中でも、古くから信仰の対象としてきた特別な岩、それが半島の中央に位置し雄大な神威岬から突き出た神威岩です。「神威(カムイ)」とはアイヌ語で「神」を表す言葉で、それは人知を超えた自然の猛威をもたらす「荒ぶる神」だと言われ、地元では「お神威様」と呼び、遥か昔より海の安全と大漁を祈願してきました。

「京極のふきだし湧水」(京極町)
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羊蹄山からの湧き水として最大であり、国内としても最大級のものです。北海道西部(日本海側)の多量の降雪がもたらす北海道ならではの恩恵の一つの形です。
水と触れ合う公園設備や、水を活用したさまざまな商品開発により、地域経済の活性化が実現しています。豊かな水は、北海道が誇る自然資源の代表的な存在であり、その象徴的な場所として、今後は、公園周辺における食品産業の集積や、水について学ぶことができる博物館の整備など、一歩進んだ活動が展開されることを期待します。
暑さが本格化すると、札幌やはるばる本州から訪れる人々が列をなすふきだし湧水。豊かな自然がじっくりと生んだおいしい水が、今日も多くの人々ののどを潤しています。

■京極町民にとってのふきだし湧水とは
そもそも、京極町のふきだし公園は、昭和初期に岩内町梅沢富士郎氏により町へ寄付されたものでした。
それと同時に京極龍門寺松田玄龍和尚が、「観音様の霊水」として、不動明王、三十三番観音像を設置しました。数ヶ所から流れる冷たい湧水は町民にとって憩いの場所、町のオアシスとなりました。
飲料水、下水道、工業用水などとして使用している湧水を京極町は「町の貴重な財産」と位置付け、良質な水資源を保全する環境整備を進めてきました。
そして昭和60年に京極のふきだし湧水が環境庁(当時)の「名水百選」に選ばれました。このことを受けて、町ではふきだし公園の整備を進めました。8年間で約7億円をかけて、遊歩道、吊り橋、駐車場、湧水の素晴らしさをPRする名水プラザ等、湧水の保全を図りながら、訪れる人々にとって使いやすい設備が整いました。
平成2年には名水百選に選ばれたことを記念して7月に第一回「しゃっこいまつり」が開催されました。町をあげて水に感謝し、そして、その水の恩恵を受けて、町を盛り上げていこうというこのイベントは現在まで毎年開催されています。また、同年ふきだし湧水は建設省の「生活を支える自然の水50選」に選定されました。
その後もふきだし湧水を活用したまちづくりは進展しました。
平成5年から平成10年にかけて、「スリーユーパーク整備事業」としてふきだし公園の近くに、キャンプ場やパークゴルフ場などが作られ、そして、京極温泉が建設されました。これらの設備ができたことによって、ふきだし湧水は水を汲みに来るだけではなく周りの施設との複合的な利用が可能となり、これらの施設には現在でもたくさんの人が訪れています。
平成8年には国土庁の「水の郷百選」に選定、平成10年には町外から訪れた人の数が100万人を突破しました。

-関連リンク-
「名水きょうごく」と「名水コーヒー」

提供 文章:「北海道遺産とまちづくり」より 写真:北海道遺産 
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posted by 井上 昭三 at 11:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 風水と明王の記事を追加いたしました。ご参考になれば幸いです。
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Tracked: 2007-02-21 18:48
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