2007年02月27日

北海道遺産シリーズ

「上ノ国の中世の館(たて)」(上ノ国町)
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「写真提供サイト」http://nature.aru.co.jp/

上ノ国は、津軽海峡に面した道南の東側を「下ノ国」といったことに対する日本海側の呼び名です。
エゾヒノキ(ヒノキアスナロ)の深い森を抱く檜山山地から流れ出る天ノ川は河口付近で潟となり、投錨を必要としない天然の良港となります。これが日本海交易ルートの拠点として上ノ国町が繁栄した最大の要因でした。その上ノ国町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」です。館とは、中世この地方に多く造られた山城のことです。
このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和54年から発掘調査が始まり、現在も継続しています。現地に立つと中世へのロマンを掻き立てられます。

■上ノ国町にとっての「中世の館」とは
上ノ国町では、松前藩の祖・武田信廣が15世紀後半に築城した山城として知られている国指定史跡勝山館跡や夷王山墳墓群などの発掘調査を昭和54年から開始し、館跡からは空壕、屋敷跡、食器など謎の多い北海道の中世史のミッシングリンクを埋める多くの資料が発掘されました。
また、墳墓群からは、アイヌ人骨も発見され、中世における和人とアイヌ人の共生の証として注目されています。
勝山館跡の特徴は「北」の文化と「中」の文化が海峡を挟んで接触・交流して築かれた「北の中世」の特徴を表現しているところにあり、館跡とその直下の町場との関係も含め、「面白い謎に満ちた城」との評価で関心も高く、北方中世考古学研究の先駆的役割を担っています。

「福山(松前)城と寺町」(松前町)
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江戸時代の日本で最後に築城された城郭です。天守閣は道民からの浄財をもとに再建され、近年は文化庁等の補助を受けて、石垣・城門の復元工事も進んでいます。城の北側には道内唯一の近代的な寺町があり、松前家の菩提寺・墓所なども含めて、現在もなお、往時の雰囲気を体験することができます。
松前町の歴史を知ることは、開拓以前の本道の歴史を理解する上で重要であり、お城や寺町は道民全体の宝物であるという認識のもと、地域においては、関係者が一体となり、年間を通じた観光客の誘致などに向け、より発信力のある活動を展開しています。

■松前公園への思い
北海道で最も早く桜が見頃となり、福山(松前)城と背景に集中的に配置された5つの寺がある寺町が江戸時代の雰囲気を醸し出す松前公園。
松前家の初代藩主、松前慶広がこの地に福山館を築いたのは江戸幕府が開かれて間もない1606(慶長11)年ですが、その後、外国捕鯨船の来航やロシアの南下政策など外国船の出没に備えた北辺警備を目的として、5年の歳月をかけて1854(安政元)年に完成したのが福山(松前)城で、道内唯一、わが国最後の日本旧式城郭です。
また、松前公園は250種1万本を有する「さくらの里」として全国に知られています。
松尾芭蕉の句「一里はみな花守の子孫かや」のとおり、松前がさくらの名所になったのは、この句にあるような「花守」の存在があったからです。大正時代以降、接ぎ木で桜の増殖に努めた鎌倉兼助氏、さらに昭和28年から松前町の小学校教論として全国からさくらを収集し、品種改良によって松前独自のさくらを生み、現在の礎を築いた浅利正俊氏。そしてさくらを守り育てた多くの子供たちや町民の努力が「さくらの里」を育てたのです。

提供 文章:「北海道遺産とまちづくり」より 







posted by 井上 昭三 at 13:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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